〜燕の大皿〜
                             

燕の大皿 琥珀地瑠璃被せ
Φ=240mm 高さ 60mm

空を切る燕の姿をデフォルメした作品

1枚の皿の中に
籠目・菊つなぎ・菊籠目と
江戸切子の代表的なカットが
余すことなく描かれています。

江戸切子に限らず
バカラ、スワロフスキー、ガレ、など
ガラス工芸品の醍醐味は
その光の当たり具合によって
様々な表情を見せてくれる所です。

本年は江戸開府400周年です。
日本に残る伝統工芸品の力を
改めて感じさせます。
↑は野外写真
↑は障子から漏れるやわらい光に翳した写真。
  
↑は室内写真です。 普段の表情はこんな感じです。


江戸切子のお話・・・

 加賀屋久兵衛とは?

 バカラやスワロフスキー、ガレなどの名前は皆さんもよく聞かれると思いますが、

江戸切子、薩摩切子もこれらと同じカテゴリーにありその価値は海外で高く評価されています。

残念ながら現在では、江戸切子・薩摩切子ともになかなか目に触れることが少なくなりました。

日本の切子(カットガラス)のはじまりは1834年江戸大伝馬町のびいどろ屋、加賀屋久兵衛が

金剛砂を用いてガラスの表面に彫刻することを工夫したのが始まりとされています。

加賀屋は当時日本橋界隈で金属製の丸鏡や丸眼鏡(江戸時代の眼鏡)を製造・販売するお店

だったようです。

この加賀屋で修業していた青年・当時は文次郎が後の加賀屋久兵衛です。

その後、大阪に修業にだされ主家(加賀屋)より家名を分与され天保十年(1839年)に

独立し加賀屋久兵衛と名乗ったそうです。

 ペリーが浦賀に黒船に乗って現れる14年前の事です。

そう、江戸切子・薩摩切子の創始期は幕末・明治維新の時期と同時期であり、

当然、青年・加賀屋久兵衛をはじめ切子の職人達もこの時代の波に翻弄されていったのです。

実はこの事が平成の現代に至るまで江戸切子・薩摩切子がなかなか脚光を浴びなかった

大きな原因なのです。

えっ何があったかって・・・?

この話は後ほど(^^♪




当ページの写真・画像は鞄喧kカラーエージェンシーにより製作されたものです。
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撮影場所    仙台市青葉区 緑水庵
撮影者   鞄喧kカラーエージェンシー



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